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Vol.79 診察費をマケてくれるお医者さん


 福祉メルマガ読者のみなさんは「フリーランス」という言葉に、どんなイメ
 ージをお持ちだろう。
 人から「フリーってどうですか」と聞かれると、私は「社長兼企画マン、兼、
 営業マン、兼、経理、兼、庶務。どの仕事も一人でやるのが大変かなあ」と、
 自嘲半分、でもちょっと誇らしげな気持ちも半分で、説明する。
 しかし、ささやかな自嘲も誇りもふっとばす、究極の「フリーランサー」に
 出会った。近所の内科医院で、である。

 古い雑居ビルの二階にあるその医院では、電話対応から受付から看護婦業務
 から診察から薬の受け渡しまで、すべて一人の男性医師がこなしていたので
 ある。
 医師は50代半ばころであろう。
 「今日はどうしましたか」。問診を始めながら、ものすごい勢いで、私のカ
 ルテに国民健康保険のデータを書き込みだした。
 「はい、寒気がする? 熱はありますか?」−−ガリガリ、ガリガリ。名前に
 住所に生年月日。ボールペンの音が止まらない。
 「一ヶ月前から寒気がとまらなくって、風邪みたいな症状が続いていて」と私。
 医師は症状欄に「寒気、一ヶ月前から」とガリガリ。
 書き終えると、医師は脈をみて、聴診器をあてて、舌を出して、喉の奥を調
 べた。そして話はその間ずっと、しっかりと聞いてくれた。
 そして言った。
 「占いみたいに思われると困るんですけどね。今のあなたの状態を見ると、や
 る気はあるのに気持ちだけが空回りしている、色々なことが気にかかって夜し
 っかり眠れていない、眠れていないから目が疲れる、肩もこる。そんな蓄積が
 風邪のような症状を起こしているんでしょう」
 「ああ、その通りです。気になるから眠れない、翌朝だるい。でも気ばかり焦
 って体調は悪いから集中できないって感じです」
 医師は再びペンを握り、ガリガリガリガリ、こんどは薬の種類と効用と飲み
 方を、薬袋に書いている。
 「4日分ありますから、これ飲んで、治らなければ来てください。治ればもう
 いいですよ」
 普通は、「一週間後にもう一度きてください」と言うだろう、医者なら。
 「治ればもう見せにこなくていいんですか?」
 「治れば、くる必要ないでしょう」
 あっさりした先生だなあ。驚いていると、
 「いま、患者さんいないからそこに寝ころんで。ツボを押してあげます」
 ベッドに寝ころべ、と彼は言う。
 そして横になった私の足を持ち上げて、「ここ、痛いでしょう?」「頭に血
 が上っているから、それを下ろしているんです」と、指圧が始まったのだっ
 た。「今日は患者がいないから、サービスですよ」と。
 サービスが終わると、受付へ医師自ら移動し、レジに保険点数を打ち込んで、
 「はい、今日は880円です」とお会計をした。おつりと薬を渡された。
 こんなにフル稼働する医師を、私は始めて見た。せわしないといえば、せわ
 しない。が、終始、まさに一対一でのコミュニケーションに応じて貰ったと
 いう、普通の病院ではまず味わえない満足感が残った。
 結局、4日分の薬で私の症状はかなり収まった。
 が、私は5日後にふたたび、その内科を訪れた。完治したってほどでもなかっ
 たのもあるが、それ以上に、好奇心に駆られてしまったのだ。
 一人何役もこなしながら、きっちり患者の「聞いてほしい欲求」に応える。
 その上、「また来させよう」とする姿勢はない模様。面白いなあ。患者半分、
 いや好奇心が半分以上である。
 その日は「じゃあ予防のために」と漢方薬をもらった。それは飲んだり飲ま
 なかったりしていたのだが、2週間後、こんどは、風邪の引きはじめのよう
 な寒気に襲われた。
 よし、と私ははたまたその内科を訪ねた。風邪は引きはじめが肝心という。
 それに医師一人で全ての業務をこなせるくらいだから、医院はいつも空いて
 いる。さっと見てもらえるのだし、何より私は、不思議医院への好奇心で一
 杯なのだ。
 こんにちはー、とドアを開け、「また風邪っぽいんです」と私は説明した。
 しかしである。脈や舌などを一通り見ると、医師はきっぱり、こう言った。
「あなたのは、風邪ではないです」
 意味不明である。あっけに取られていると、
「一ヶ月に3回も風邪をひく人はいない。あなたの話からすると、どうも、日々
 の生活の中でストレスをためて、発散していない。こう、体がうまく回って
 いない感じです」
 こう医師は説明した。
 ではどうすればいいんでしょう?
「なんか運動してますか?」
 はい、空手を週2回から4回。
「空手はどんどん、してください」
 え、風邪っぽいのに? 
「だから風邪じゃないです」
 そんな? でもお酒は飲んじゃいけないですよね。空手のあと、いつもみんなで
 飲むんですが。
「どんどん飲んでください。飲んで発散すれば、あなたがいう風邪は、治ります」
 そ、それ、本当ですか?
「今日はもう薬は出しません。診察代も要りません。浮いたお金で、いつもより
 ビール一杯、たくさん飲んでください。それで治ります。それしか、ない」
 要するに、私は追い返された。一円も払わずに。
 その日は言われた通り、なんかだるいし寒気がするんだけどと思いながら、
 空手の稽古をして、飲んだ。
 風邪の初期症状は、翌日には消えていた。
「これって、いいお医者さんなんだと思う?ヤブ医者だと思う?」と、この話
 を私は何人かの友人にした。友人たちはそろって「すごくいいお医者さんな
 んじゃない」と言った。
 田舎の母に話すと、「都会に、そんな人がいるんだねえ。よかったねえ」と
 しんみりしてしまった。
 あの医師が処方してくれたのは、「病は気から」という薬だったのだろうか。
 キツネにつままれたような気分だが、やっぱりまた風邪を引いたら行ってみ
 ようと思うのだから、あの医師はやはり私のような固定客を、多くもなく少
 なくもなく、抱えているのだろう。
 都会の赤ひげか、究極のフリーランサーと呼ぶべきか。

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