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Vol.62 アグネス・ラムをご存じですか?



最近の私のテーマは「働くことに意味はあるのか」。

意味云々は関係ないだろ、フリーが働かなくてどうやって生きていく?
そうなんだが、風邪を引いたり不眠症になったりすると、意欲は枯渇、息を
してご飯食べて寝るだけで精一杯という気分になるもの。

そこで意識的に思い出すようにしているのが、新刊の共著「アグネス・ラム
のいた時代」(中公ラクレ新書)で半年、密にお付き合いした写真家の長友
健二さんのことだ。
メルマガ読者の諸兄世代なら、まず、「長友健二」を知らないだろう。
40代の男性からは、「ああ、篠山紀信の次の次くらいのクラスの?」との返
答があった。
まさに、それが「一般的な評価」だと思う。でも私は、長友さんの凄さを、
そういった知名度とは別の部分で感じている。

彼の凄さとは、「無個性でいられる強さ」なのである。
どういうことか。長友さんの写真には、その人特有のクセがない。
人間の作品なのだから、ないわけじゃない。でも彼の写真を見れば分かる。
自分を極めて押し出さずに撮っていることが。
昭和30年代、テレビ普及前の日本人最大の娯楽だった映画の大スターから、
キャンディーズ、ピンクレディー、松田聖子や小泉今日子、それに松嶋菜々
子まで、大スターを半世紀に渡って撮り続けきた。
いや細木数子の「専属写真家」でさえあった。カッパブックス「六占星術」
の表紙は毎年、長友さんが撮ってきたのだ。
50年間、あまたいるカメラマンの中で、その時々のスターを撮るチャンスに
恵まれ続けた人が、何人いるだろう。

なぜこの人が、と理由を考えてみた。
長友さんは1932年生まれ。昭和7年、ヒトケタ世代である。宮崎県延岡市の農
家の生まれ。兄弟が何人いたのか、定かでない。
本の中では「十人きょうだい」と書いたが、インタビューの初回では「九人
きょうだい」と言っていて、後日「あれさ、もう一人いたことが分かった」
と笑っていた。おまけにすべてのインタビュー終了後の打ち上げの席では
「実は十一人だった」と言っていた。
とにかく貧しい時代、田舎で子沢山の農家に生まれ、生き延びるには都会に
出るしかない、といった家庭環境だったということだ。
理由その1は「なりふり構っていられない家庭環境にあった」

地元のタウン誌(今でいう)に職を得ていた長友青年は、ここじゃ食えない
と、つてをたどって東京の出版社に入れてもらった。
編集者かつカメラマン見習いとして、カメラはゼロからの独学で覚えたそう
だ。
昭和は高度成長期を邁進した時代、入った出版社が週刊誌創刊ラッシュに乗
って週刊誌を出した。
長友さんは、そこで表紙を任された。毎週、毎週、映画女優との出演交渉。
気位の高いスターと上手につき合い、短時間でいい表情を撮れるカメラマン
として、評価されていく。
「事前に映画の脚本をしっかり読んでいけば、スターに、シナリオに沿った
ポーズを注文できるでしょ」。
長友さんは、現場をスムーズにこなすため事前準備を心がけていた、と話し
ていた。
理由その2は「準備を怠らない勤勉性」だ。

映画スターの後は、日本最大の芸能プロダクション、渡辺プロダクションの
専属カメラマンになった。
天地真理も沢田研二もキャンディーズも、70年代のテレビスターはみんな長
友さんの撮った宣材写真で、デビューしたのだ。
渡辺プロの宣伝部にいた人が言っていた。なぜ長友さんが専属に?
「長友さんは、自分の個性を押し出さないで撮ってくれるでしょ」
篠山さんは「篠山紀信の写真」しか撮らないから、アイドルの宣材写真に写
真家の個性はいらないから、と彼は言っていた。
理由その3「自分を殺して仕事ができた」

3つも理由があれば、もう十分、かもしれない。でも長友さんには、さらに
「ふてぶてしいほどの営業力」があり、その一方での「人当たりのよさ」が
あった。

「アグネス・ラムのいた時代」は雑誌「読売ウィークリー」に連載していた
ものだが、連載終了のちょっと前に、表紙とタイトルロゴを替える紙面改革
が行われた。
表紙は、その号の特集に沿ったサラリーマンやOL風のモデルをCG合成し
たデザインだった。
長友さんは、その変わったばかりの表紙を知っているのに、紙面改革を終え
たばかりの編集長に向かって「僕に表紙を撮らせてくれ」と言っていた。
長友さんのいう表紙とは、もちろん、他の週刊誌がやっているような、スタ
ー女優たちのアップのことだ。
絶句した。いや、拍手したい思いだった。でも帰宅してからは、これほど図
太く自分を売り込めないと、フリーではやっていけないのかと、しばらく考
え込んでしまった。

とにかく長友さんから教わったのは、「無個性も個性、つべこべ言わずに、
働け」。
この事に尽きる。

つべこべ言わずに突っ走ってきた長友さんは、ずっと元気の塊だったのに、
ある日突然、逝ってしまった。実は2ヶ月前に癌に気づいていた、と後から聞
いた。
日曜日に亡くなって、その週にも、撮影の予定がたくさん入っていた。まさ
に究極のフリーランス、理想の逝き方じゃないか。

さあ、つべこべ言わずに、働こうか。
「アグネス・ラムのいた時代」の紹介はこちら



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