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Vol.55 都会のユルい長屋
 私が住んでいる家は、古い。築年数はたぶん四十年くらい、外壁にはヒビが
 入っていて、地震が来たら待ってましたとばかりにパズルのピースみたいに
 バラバラになるんじゃないかと恐ろしいほど。
 ネズミと、なめくじと、やもりと、その他大勢の虫たちが自由に出入りして
 いる。ネズミにお目に掛かったのはある日の台所で一度だけだが、いまも屋
 根裏には気配が漂っている。トトトトトッという足音が、寝室の屋根から伝
 わってくる。
 でもまあ、ネズミは目の前に現れなければいい、なめくじはつまんで外に出
 してやればいいやと思うようになった。
 この家を気に入っているからだ。
 住人の関係性がいいのである。
 「アパート」と名が付くこの家は、木造のとても大きな豪邸を四世帯に区切
 って貸し出している。作りも複雑で、一階、二階の区画が入り組んでいる。
 二階の住人の風呂は、なぜか一階の区画の家にくっついているので、二階の
 人は風呂に入るのに玄関を出て、階段を下りなければならない。
 私とウサギは最もシンプルな一区画を借りた。
 あとの区画には、イタリア男と日本の女性とカナダ男の3人暮らしの「一家」
 と、一人暮らしの男性と、若夫婦に子供1人の普通の一家が住んでいる。
 なんだか都会的だ。職業も、シェフ、ミュージシャン、教師、通訳、そして
 フリーライター。いろいろだ。
 住人たちは、よく話す。
 桜の木が植わっているので、落ち葉の掃き掃除を私が道でしていると、「ア
 リガトウネー」と隣の家から声がかかったり、「キョウはカナダからオトウ
 サン、オカアサン来てるよ」と話しかけられたりする。
 時には、家の中までお邪魔する。
 隣の区画の家は古い旅館の母屋のようで、長い廊下にいくつかの和室、それ
 に四季折々花の咲く日本庭園を囲んでいるのだ。庭を眺めながら、四方山話
 をさせてもらう。
 それに私はウサギの世話を頼んで外泊するとき、鍵を預けていった。考えて
 みたら、他人に鍵を預けるとはなかなかできないお願いだし、二つ返事で引
 き受けてもらってとても助かった。ウサギも隣の住人には、一発でなついて
 しまった。
 さらに素晴らしいと思うのは、このアパートの影響かは不明だが、この周囲
 はみんな近所の人がよく話すのだ。
 古い外車マニアのお兄さんは、昼間からいつも車いじりをしているので、男
 性陣はよく立ち寄っては「どこを直しているの?」と車談義に花を咲かせて
 いる。
 一人暮らしらしき五十代くらいの女性も、このお兄さんや子供やガイジンと
 仲良しだ。

 長屋暮らしで思い出すのは3年前、世田谷・三軒茶屋にあるまかない付きの
 長屋を舞台にしたドラマ「すいか」(フジテレビ)のこと。ベテランOL役の
 小林聡美や、まかない婦役の市川実日子、小林の同僚で大金を横領をしてし
 まう小泉今日子、大学教授の浅丘ルリ子といった世代の違う女性の織りなす
 人生模様が味わい深く、私は複数の友人とこのドラマについて、あこがれを
 込めてよく話し合った。

 もう一つ長屋暮らしといえば、批評家の四方田犬彦氏の「月島物語」。
 こちらは四方田先生の長屋での人との交流、生活雑感を交えながら月島とい
 う場所について、考察する記録だった。この本についても、月島近所に住む
 友人と話し合った記憶がある。

 でもどちらの長屋暮らしについても、「面白そう。でもちょっと濃すぎるだ
 ろうな」との印象をもった。
 四方田先生の住む月島の長屋は、たぶん生活騒音の巣窟だろうし、「すい
 か」の「まかない付き」の世界となると、毎食を赤の他人と一緒に取るのは
 不可能だとしか思えない。

 今の私の住居は長屋を探して住むことになった訳ではないが、探して気に入
 った物件は、結果的に隣と壁がくっついている不思議な構造の家だった。生
 活はまったく別だけど、住む人同士の風通しがいいというのは、私にとって
 は理想的な「長屋風」空間だ。
 ただしボロい。冬はすきま風が吹きすさび、猛烈に寒い。
 昨日、ガイジン君が「ご近所パーティー」と称して招待してくれた時のこと。
 「この家はゴーストがいますよ。ボクは見た。日本のオールドマンだった。
 ウっと言って立ち上がろうとしていた」
 といってあっちあっちと裏庭を指した。動物、昆虫のみならずユウレイまで
 いたとは驚きだった。
 「でもボクはゴーストよりラットが怖い」とその彼は続け、それからこの家
 に住み着くネズミの目撃談を一階、二階の住人が披露しあった。
 住宅の耐用年数には限界が近づいている。でもこの暮らしには代え難いなと
 思う。
 都会に住む者が孤独を適度に紛らしながら住める工夫のされた住居が、今後、
 現れないだろうか。

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