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Vol.43 なれなれしさの復権はなるか
 「東京の人って、コワイ。道を聞いても、無視されてん!」
 大阪から韓国スターのおっかけに上京し、うちに一泊しにきた女の友達が、
 憤懣やるかたなしという風に言いました。

 まずは東京駅で「中央線ってどこですか」と駅を歩く人に問いかけた。が、
 素通りされた。
 次に駅を降りて、「タクシー乗り場はどっちですか」と道行く人に聞いた。
 が、またもや無視。
 「信じられない、大阪ではゼッタイそんな人、ありえへん」と彼女は言うの
 です。

 たしかに大阪よりは素っ気ない反応をする人が東京には多いだろうなとは思
 いますが、露骨に無視する人ばかりではないでしょう。
 いかにもコテコテな関西弁が、相手をひるませたのか。はたまた、片手に巨
 大なヴィトンの旅行バッグ、肩には華やかなパッチワークのコーチの限定
 品ショルダーを下げた彼女の姿は、いかにも派手好みな関西人風であり、そ
 の臭気にあてられたのか。

 翌日彼女が待ち合わせた同じく京都出身の追っかけ仲間も「タクシーに乗っ
 て、今日は雨降りますかね、と話しかけたらおっちゃんが無視しした!関西
 では、おっちゃんの方からあれやこれや話しかけてきてウルサイのがふつう
 やのに!」とお怒りだったそうです。

 なんということはない、関西人の「せやから東京は・・・」といった異文化
 体験談なのですが、私にはひっかかるところがありました。

 拙著「問題少女 生と死のボーダーラインで揺れた」を書き、痛感したある
 一点に通じるものがあるのではないかと。

 主人公の「問題少女」を自死に追いやった原因の一つは、「人が人を遠巻き
 にする」空気の存在でした。
 文中ではこの言葉は使っていませんが、私も親も友人もカウンセラーも、彼
 女が死を選ぶ間際になってさえも、ズバっと突っ込んでいけなかった。

 直前の自殺未遂を電話でうち明けられた時、私は、「今すぐ会いにいきたい」
 と思いながら、いや今は混乱しているだろう、家族がいるんだからまた落ち着
 いてからにしよう、と、その言葉を口にしなかったのです。

 いくら日常的に骨を折り、向かい合っているつもりでも、いまこの瞬間、本当
 に肝心な一瞬に動くことができなければ、取り返しのつかない事態を招くこと
 が人生にはあるのだ。思い知りました。

 いや動いたところで「取り返しのつかない事態」は避けられなかったと人は見
 るかもしれない。けれども少なくとも本人にとって、「動かなかった」という
 事実ほど大きな後悔はないのだと、私は実感しています。

 肝心な一瞬にひるんだ、動かなかった。それと「道を尋ねても通行人が無視を
 した」という体験談は、どこかでつながっているような気がするのです。

 通行人は、耳慣れない関西弁で道を尋ねられてびっくりした。違和感を覚えた。
 けれども次の瞬間、「自分が助けなくてもいいだろう」と判断、友人への対応
 を「遠巻きにする」決意をしたのでしょう。

 「自分が助けなくてもいいだろう」と「また今度でいいだろう」。
 危機を自分から遠ざける、という点で、おなじ意図が流れているのです。

 というと、高度成長期前の日本のムラ社会的なコミュニティー文化を取り戻せ、
 といった主張に聞こえるかもしれません。「昔はよかった」風な。人と人とが
 支え合っていたといった。

 たしかに関西は東京ほど人の流動性が高くないので、なれなれしさが人の振
 る舞いのなかに残っています。

 関西ではありませんが、さらに流動性の低い場所の出身者である中国人の友
 人には、似た話を聞きました。

 不妊で悩む彼女の友人が、友達数人と集まったとき、初めてぽろっと「子供
 ができない」と漏らした。すると一同みなが「じゃあ人工授精がいい」「それ
 ならあそこの病院がいいよ」「これから連れて行ってあげよう」とやいのやい
 の、今にも手を引いて病院まで引っ張っていく勢いで干渉したのだとか。日本
 人はよそよそしい、と日頃、不満をもらす彼女もこの光景には、「中国人のな
 れなれしさはひどすぎる。日本人なら静かに話を聞いてあげるはず。こんな失
 礼な反応はゼッタイしないでしょう」と怒りを禁じ得なかったのでした。

 よそよそしさを生むのは他人と他人の距離を感じとるセンサーとでもいう感覚
 でしょう。

 であれば、なれなれしさはその他人との距離を感じるセンサーがあまり発達
 していない状態でないと生まれません。
 「問題少女」との出会いと別れで、自分のなかで過度に発達していたよそよそ
 しさのセンサーの存在に私は気づきました。

 だから思うのです。よそよそしさのセンサーを過度に発達させるのは、
 危険だと。

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