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Vol.40 「問題少女」について

  かれこれ7年になるのだと、感慨を覚えました。
  さる17日、拙著「問題少女」がPHP研究所より発売になりました。
  (http://www.php.co.jp/bookstore/detail.php?isbn=4-569-64951-3)
  高校2年で不登校になった16歳の少女と取材で知り合ったのが、1999年2月でした。彼女と付き合ったのが4年、そして彼女が命を絶ってからは、彼女をかつて「買った」男を探したり、女友達やカウンセラーに話を聞いたり等など、
  その足跡をたどり直すのに1年。それから執筆に1年、出版までに1年。
  そんなこんなで、いつの間にか7年が経ったのでした。

     

  さて福祉メルマガ読者の皆さんに、一緒に考えてもらいたいのはここからです。

     


  彼女が生きていた時も亡くなってからも、ずっと私が考えあぐねていたのは「病む」または「病んだ人」とはどういうことを指すのか、との問題でした。
  一般論にすると際限がなくなるので、自分の体験に限ってここでは記します。

 プロザックという薬の服用者の取材で彼女と知り合った私は、「摂食障害の女の子」としての彼女の話を最初の取材で聞きました。16歳の少女が話す摂
  食障害と精神科での治療の体験談。小学生の時から手首を切っていた、という言葉には背筋が凍りましたが、でも10代の摂食障害は、15も離れた私の高校時代を振り返っても、思春期の問題としてそう珍しくないものでした。少なくとも私はそう、理解していました。
  話の内容は別にして、たじろがず、明快に話す彼女の第一印象から、「病んだ少女」とのレッテルを張るには彼女はふさわしくない。こう私は思ったのでした。実際に彼女の読書歴を聞いたり、映画や音楽の話を聞いたりして、その知識の幅と洞察の深さに感じ入ることばかりでした。こんなにしっかり自分の考えを持っている子なのだから、思春期が終わればきっと精神状態も安定するはずだ。こう思い込んでいたのです。

 けれども付き合いを続けていくうちに、「事件」がいくつも勃発します。
  彼女が売春をしたり、風俗店に勤め始めたり、自殺未遂をしたり。
  同時進行で彼女の起こす「事件」の話を聞きながら、でも私は彼女を叱咤激励し続けてきたのです。あなたは大丈夫だ、いや、たとえ今大丈夫じゃなくても、時間が経てばあなたの抱えた問題はきっと解決するから、と。

 実際に彼女は成熟し、20歳になりました。「事件」は卒業し、家にいながらも安定した生活を送り始めました。命を絶ったのは、そんな矢先でした。

 その後、私は彼女の足跡をたどります。そして知りました。わずかながらも彼女と生前、継続的に付き合いのあった人が、そろって彼女のことを「病気の女の子」と見做していたのだと。「治らない人だから」「あの子は病気だから」と。
  その見方が正しい、間違っているということを、問いただしたい訳ではありせん。しかし、それが彼女を囲っていた、彼女に対する「世間」の視線とはそのようなものだと知るのは、私には辛かった。

 もちろんこうも考えました。私の彼女への見方が浅かったから、付き合いが浅かったから、彼女の病んだ部分での辛さ、苦しさを軽く見すぎていたのだろうと。それも一面の真実です。それに病んでいるかどうかという設問自体が、病という状態を「健康」より劣った状態だと、脱すべき状態だと位置づけることではないか、とも考えました。

 けれども仮に私が、家族のように彼女ともっと長く深く接していて、そして私もまた彼女の事を「病気の女の子」と見做すようになっていたとしたら。

 周囲の人間全員が、自分のことを「病気」と見做すよりは、ちょっとピンボケでも自分のことをそう見ない人間が一人くらいいた方が、気は楽だったんじゃないかと思います。自己弁護のようですが、私ならそう感じるだろうなと想像しました。

 福祉メルマガ読者のみなさんも、こんな問いにいつかぶつかるのでしょう。
  将来、仕事で付き合う介護や介助の対象者を前にして、いま自分の手助けを必要としているこの人の状態を、自分は日々の作業の中でどう位置づければいいのかと。
  たった一つの正しい答えなどないのでしょう。
  自らに問い続けながら、その時々の自分の感情や感覚の落ち着きどころを探す。私の「問題少女」との7年間は、その繰り返しでした。
  いや7年ではありません。今後もずっと、繰り返すのでしょう。


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