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Vol.39 天才ウサギの育て方

 老人ホームでウサギを飼う、という映像をテレビで見たことがあります。
  ウサギは従順だし、吠えないからお年よりを和ませるのにぴったりだという
  ことです。

 もし「老人ホームのウサギ飼育係」といった職業が存在するならば、この私
  こそ、その職にふさわしい人間だと自認しています。
  自慢ではありませんが、私にはウサギ飼育の才があるらしいのです。いや事
  実そうとしか思えません。

 ここ2週間ばかりの発見でした。わがウサギ、通称ウサちゃんを生後2ヶ月で
  人からもらい受け、飼い始めたのです。
  ウサギ飼育本を3冊、読みました。どの本にも「ウサギはイヌのようには躾け
  られません」と書いてあります。

 ということは、わがウサちゃんは、天才?

 というのも、どう見たってそんじょそこいらのイヌよりも賢く育っているん
  です。
  ペットブームで躾の行き届かない駄犬が増えた昨今、わがウサギはこんな風
  なのです。
  ウチのウサギは「ダメ」と言ったら必ずイタズラを止めます。
  「おいで」と呼びかければ、寄り道をしながらも走ってやってきます。
  怒った声で説教をすると、小さくなってこちらの顔色を伺いながら、聞いて
  います。
  「お手」「お座り」といった芸はしませんよ。でもそんな芸より、言うこと
  をきちんと聞く方が、飼う上でよほど助かるでしょう。私の経験では、昔飼
  っていた柴犬よりよほど従順で人間の言葉を理解している風なのです。イヌ
  の飼育が悪かったのではという疑問はさておいて−−。

 ウサギは日々、新しい行動を覚えます。
  たとえば今朝の出来事です。朝、私は起きるとすぐにウサギのケージの傍に
  よって「おはよう」と声をかけます。
  寝ていたウサギは飛び起きて、ケージの角の金網に必死に鼻をつっこみ始め
  ました。そして顔をあげ、私の目を見る。
  何やってんの?聞くともう一度、もう一度、同じ動作の繰り返しをしてみせ
  る。
  何だろう。ウサギが鼻を突っ込んだ金網のあたりを、覗いてみました。する
  と昨晩与えた人参の、かじられて小さくなったものが、金網に食い込んでい
  ました。
  どうやらウサギは、私が起きるのをずっと待ち構えていたらしいのです。起
  きて来たからここぞとばかりに「取って!取って!」の猛烈アピールをした、
  というわけ。
  あー、しょうがないね。拾い出してやると、ウサギはしてやったりと、大喜
  びで食べかけの人参に食らいつきました。
  小さな脳みそしかもっていないウサギが、飼い主に落ちたモノを拾わせる術
  を覚えた。このことに私は、少なからず感動しました。

 ではどうやって私は、ウサギの飼育に成功したのでしょうか。
  難しい設問です。特別なことは何もしていないのです。たしかに私は3冊の飼
  育書を熟読し、実践しました。もっとも、すぐ捨てたり虐待したりするトン
  デモペット愛好家にも分かるようにとの配慮でしょうか飼育書にはどれもご
  くごく当たり前のことしか書かれていません。
  ウサギ小屋は清潔に。飲み水を切らさずに。人間の食べるお菓子は与えては
  いけません、等など。
  でも本に記述はありませんが、私には、「ウサギ飼育に成功した」とはっき
  り分かった瞬間がありました。
 
  家にいる時はほぼ常時、ウサギを目に入る場所に置いています。執筆時には
  机のそばにウサギのケージを運び、食事のときにはケージから出して放して
  やります。
  よく撫ぜ、よく話しかけています。来た当初のウサギは環境の激変に緊張し
  ていたので、とにかく「大丈夫だよ」などと言いながらあちこち撫ぜ、どこ
  を気持ちよがるのか観察しました。
  ケージから出しても、3日間はあまり動き回りませんでした。警戒心で一杯で
  、私が寄るとすぐ逃げ出します。ずっとこんな調子なんだろうかと心配にな
  りました。
  一週間がそうして過ぎました。そして8日目のこと。ウサギはその日、どこ
  か違いました。
  ケージから抱き上げ、床におろすと、そろりそろりと私の方へ歩いてくるの
  です。恥ずかしいのか怖いのか、寄ってきたと思えばまた遠くへ駆けていく。
  そしてまたそろりそろりと、近づいてくる。
  何かある。こう思ったので、近づいて来た時、声をかけて背中をそっとさす
  ってみました。それを何度か繰り返しました。
  何回目かに寄ってきて、私が背中をなぜ、手を放した瞬間でした。
  ウサギはピョンと跳ね上がり、くるっと体をひねって方向を変え、大急ぎで
  駆けていきました。それから再び戻ってきて、背中をなぜるとまたピョン。
  ウサギが心を開いた。確信した瞬間でした。その時からウサギは、一変した
  のです。人が変わったように、いや違うか、とにかく言うことを聞く、人な
  つこいウサギになったのです。

 たかだかウサギを相手に何を思い込んでいるの、と思われるかもしれません。
  でも私の本業である取材でも、これに似た感覚にとらわれることはあるもの
  です。
  相手がどうも警戒していて、話がなかなか核心に触れられない。いっそあき
  らめて、今日は別の話をしようと考えを変え、余談で盛り上がったその直後。
  ふと相手が「核心」について自然に話し始めた−−。
  2回目、3回目と回を重ねて会う中で、最初はどこか訝しげに聞こえた話に筋
  道が見えてきて、私が真剣に耳を傾けた。すると思わぬ重要な話が相手から
  飛び出した−−。
  取材記者を続けていると、だれしもこんな経験はあるものです。
  ウサギを飼って知ったのは、相手が動物でも同じことなんじゃないかとい
  うことでした。互いが自分を開示して、信頼に足りますよと互いに感じ取る。
  それがコミュニケーションが成り立つ瞬間です。
  言葉の通じないウサギでも態度で示せば通じるのだと、私は痛感したのです。
  もちろん冒頭の、私が天才ウサギ飼育者です、といったくだりは冗談です。
  ここまで読んでいただけばお分かりでしょう。なんのことはない、私はただ
  多少丁寧にウサギに接していただけ。
  それに「ダメ」や「おいで」の声かけには成功しましたが、最も基本的な躾
  に、失敗しているのです。
  それは糞。ウサギはしつければトイレ容器の中にするらしいのですが、わが
  ウサギはケージの中に糞をし放題。ケージから出すと我慢してくれるのは幸
  いですが、「糞はここでしてね」とは、いくら言っても伝わらない。
  「気持ちが通った」も何も、こちらの勝手な思い込みなのかもしれません。
  まあ思い込みとて、コミュニケーションの重要な柱。うちのウサギは天才だ、
  人間の言葉が分かる−−。こう思い込めるなら、おめでたくも幸せなことか
  もしれませんね。

 ペットにウサギ。老人ホームばかりでなく、コミュニケーションに悩む人に
  もお勧めです。

     

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