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Vol.33 私は「入れ替え可能なのか」という問題

プロ野球の契約更改シーズンです。

阪神タイガースの「JFK(リリーフ陣の呼称。J:ジェフ・ウィリアム投手、
F:藤川投手、K:久保田投手の各選手の頭文字を取って命名されました。)」の
藤川球児投手が「中継ぎの評価が低すぎる」と球団ともめているのは、虎党マ
イナーな話題なんかじゃなく、みなさんご存知の通りですよね?
球団は「査定ポイントを変えるわけにいかない」と例年のごとくいいます。
じゃあ球団が藤川投手に提示した推定金額7000万円を出せば、「藤川球児」
と同じ働きをする投手が獲得できるのか?

そんなワケはないのです。

藤川投手と同じくらいの肩を持ち、球種・球速を誇る投手が仮にいたとします。
けれども、今年の甲子園を沸かせた、若さに躍動感あふれる投球フォーム、勝
つと顔をくしゃくしゃにして嬉し泣きする人間味、何より彼が登場すると「こ
れで大丈夫」という空気がボタンを押したように流れるという存在感。
別の人間に「まったく同じこと」はできません。これらの所作は、藤川投手な
らではの属人的なものなのです。
何点差を抑えた、何人討ち取ったという査定ポイントで計れないこういった項
目こそ、プロ野球ファンは楽しむものです。
「それも評価に加えてほしい」藤川投手の気持ち、私はしごくもっともだと思
います。

サラリーマンの取材をすると、必ず、成果主義の話が出ます。
少しまでは一定の年齢になれば一定の経験と技能を積んだものだとみなして、
自動的に上昇した給料を、毎年規定項目と目標達成度に沿って数字で評価する
というのが成果主義。
成果主義の究極の姿は、よく「プロ野球選手のように」と例えられます。
目に見える成績(数字)で評価が決まる。これぞ個人の能力を最大限評価するシ
ステムだと。
しかし藤川投手のケースの通り、プロ野球選手だって球団の査定方法に満足は
していません。
「数字に表れない部分を見てほしい」という彼らの訴えは、「自分だからこそ
成し遂げられたのだ」という意味でもある。

サラリーマン社会でいえば、かつては、年功賃金に加え「あいつなら課長を任
せても大丈夫そうだ」「あいつの頑張りぶりが俺は好きだ」といった、評価者
の個人的な思い入れで、その人が出世するかどうかが決まりました。
今でもそういったことはあるでしょうが、それ以外の状況証拠(つまり成果主
義による査定)を求められます。
例えば「評価Sが2期続いたから昇進に値する」といったものです。

つまり会社のシステムは「同じ成績ならだれもが昇進に値する」と判断する訳
です。
働く人々には「人は入れ替え可能なのだ」というメッセージに受け取れてしま
うのではないでしょうか?

だから不安になる。「誰か、入れ替え可能でない私を評価してよ」と必死にな
る。「そうじゃないはずだ」とあがき、どこかにその証拠を見つけようとする
がゆえ、強迫的な言動に駆られる人々が増えているのだと、宮台真司氏ら社会
学者は説明しています。

宮台氏の提示するのは「そんな社会を生きるための処方箋は、自立せよ、その
ために歴史を学び、教養を身につけて視界を広げ強くなれ」というもの。
ただ、生活者としての現実感覚に照らして言うならば、ほとんどの人は「入れ
替え不可能な私」を保証してくれる誰かを探し求め続けるのだと思います。
そう考えると、読者の皆さんの目指す福祉の仕事のように、対人サービスを売
る仕事とは、あらゆる職種の中でもかなり「入れ替え不可能性」の実感を得や
すい性質をもつのではないでしょうか。

「慣れ親しんだあなたに今日も来てもらえてよかった。」
「あなたにだからお願いできるのよ。」

こういった言葉や思いを、顧客から投げかけられ続ければ、それはかけがえの
ない「ほかの人とは入れ替え不可能なこの私」であるという実感につながるで
しょう。
若い人の間で福祉の仕事を志す人が増えているという話をききます。
もしかしたら、直感的にそのあたりの感覚の大切さを今の若い人が嗅ぎ取って
いるゆえなのかな、と思ったりするのです。

     

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