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Vol.30 絶対に理解できそうもない人を前にして

姑問題に苦しんでいるかつての同級生は、
「理解してあげたいけれど、あのお義母さんだけはもうダメ。
感情的にこじれちゃって」といつも私に漏らします。

働いている彼女の帰宅時間にうるさく干渉する、
体が動くのに食パンさえ自分で焼こうとしない、などなど、
彼女の苦しい訴えを何年も聞いてきました。

妻、嫁、労働者としてよくがんばっているように見える彼女の姿も、
大正生まれの義母には、あるべき嫁の姿とは思えないのでしょう。

福祉の現場にこれから立つ読者の皆さんは、
こういった家族の対立のハザマに立つ経験を、たくさんするのでしょう。

自分の体験や価値観の外にある世界を受け入れる。
これはきわめて難しい作業です。

たとえばアメリカには、生物進化論をいまも拒み、
「地球は神が創ったのだ」
と本気で主張する人々が、相当の割合で存在します。
ヒトの化石は200〜300万年前の地層から出てきているという
科学的な事実についても、真っ向ら否定。

聖書の教えを科学風に解釈し、紀元前4000〜8000年前、
何もないところから地球は6日間で創造された、
それ以前に地球も生物も存在しなかった、
化石は、その後の洪水など天変地異で地中に埋められたものだ、と
彼ら、「創造論者」は主張するのです。

そういった、偏った考えに固執する少数派はどこの世界にもいるでしょ、と
キリスト教的世界観にうとい私は思っていたのですが、
どうやらそうじゃないらしい。
20世紀が始まるころ、科学の進歩が神の権威を
否定してしまうのではないかと脅威に感じた
キリスト教の福音派の人々が、信仰心厚い政治家を巻き込んで、
「進化論は根拠がない」と創造論を学校で教えようとする運動を起こしました。
それが進化論と創造論の対立の発端。

もちろん20世紀の科学の進歩は、「地球が神によって作られた」なんて
聖書の中だけの話だ、と証明していくわけですが、
信仰心と政治力がタッグを組んだ創造論は、
ものすごい勢いで勢力巻き返しを図るのです。
「進化論が仮説であるのと同じく、創造論も仮説なのだから両者は対等だ」
と主張。

州によっては創造論と進化論の公立学校での授業時間を
同じにしよう、という法律ができました。
結局、法廷論争がまきおこり、1987年に創造論は国の政治と宗教は
分離すべきだとする憲法に違反する、と最高裁は判決を出しました。

それでも、こんどは創造論を押さえ込むのは
「言論、表現の自由だ」と創造論側はまた主張。
カリフォルニアでは創造論を教える先生を育成する大学院まで設立し、
いまも学生を輩出しているのだとか。(鵜浦裕著「進化論を拒む人々」より)

嫁姑の対立からなぜこんな大きな話に飛ぶか。
何かの考えに固執している人を徹底的に叩きのめすとは、
ほぼ不可能であるという事例だと考えるからです。

意見を戦わせて、共存する。
その前提として、相手がどんな根拠をもちどんな経緯で、
その考えに拘泥するようになったのかを、知る。

私の友人は、義母の生い立ちや若いころの苦労についての話を思い起こせば、
「しかたないのかなと思うこともある」と言います。

人間がひとつの世界で生きていくとは、
なんと大変なことかとため息をつきたくなりますが。

     

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