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Vol.24 渋谷で大ヒット、映画「ヒトラー」は必見だ

障害者自立支援法案が7月15日に衆議院を通過しました。
ただでさえ経済的自立が困難な障害者に
介護費用の負担を増やすこの法案に賛成票を投じる
国会議員の神経が、私には理解できません。

先進国に比べて、ただでさえ十分な福祉予算を割いていないこの国で、
さらに弱気をくじく法が生まれる。どうなってしまうのか日本は。
変化の速度があまりに遅いから気づかないけれど、少しずつ、
この国のおかしさは増しているのではないか。

こう考えたのは、映画「ヒトラー 最期の12日間」を
渋谷シネマライズで見たのがきっかけでした。
初日、大混雑で入れなかったので、今度こそと平日昼間に行きましたが
まだ立ち見でした。
 
およそ人間たるを超えた絶対悪、と描くしかなかったヒトラーを、
苦悩する人間としての側面に光を当て、描いています。
イスラエルが猛反発するのも、分かる。

原作はヒトラーの秘書の手記で、ヒトラーが自殺し
ドイツが降伏するまでを、ほぼ史実に沿って再現しています。

ヨーロッパでのナチス・ドイツの敗北が決定的になり、
ヒステリックにわめきちらすヒトラー。

けれども愛人のエヴァや女性秘書にはいつも笑顔を絶やしません。
かつての忠臣は錯乱するヒトラーを見て、
一人また一人と去っていく。
それでも一旦深く根ざした崇拝心は絶ちがたく、
「総統のいない世界など生きる価値はない」と
玉砕を誓う者のいかに多いこと。
 
私はこの映画の見所は、「人間ヒトラー」よりむしろ、
ヒトラーを盲信し忠誠を誓った側近たちの姿にあると思いました。
人はいかに弱く、何かに頼りたく、流されやすく、
一旦心を奪われたらそれを断ち切ることができず、
つまり愚かなのか。それが見事に描かれていたからです。
「イェルサレムのアイヒマン」という書物があります。
ユダヤ人の女性思想家、ハンナ・アーレントによる、
ヨーロッパのユダヤ人の強制移送の責任者・アイヒマンの
裁判についての記録です。

電気会社の経理担当者の息子として生まれたアイヒマンは、
高校を中退し、セールスマンになったもののぱっとしない日々を
過ごしていました。
そんな彼が、なんの政治的信念もないまま、なんとなくナチ党員となります。
そして一介の兵卒からユダヤ人強制移送の担当者にまで出世する。
戦後も逃亡を続け、1960年にアルゼンチンでイスラエル当局に
拘束されました。

彼に良心はなかったのか。元は一介の市民だった人間がなぜ、
「一民族の絶滅」などという想像を絶する大罪に、
いともたやすく嬉々として、荷担できたのか。世界が注目しました。
 
ところが法廷に現れたアイヒマンは、これが人類史上希に見る悪行に
大きな役割を果たした人物なのかと目を疑うほど、
凡庸な人物だったのです。

関心事は自分の出世についてだけ。記憶力はおそろしく悪く、
自分の見栄のために平気で下らないウソをつく。
この事実は、世界を驚愕させました。

ではアイヒマンのような存在を、なぜ、ドイツは産んだのか。

尽きるところは「想像力の欠如なのだ」とアーレントは記しています。
たとえばドイツで反ユダヤ人主義が広まる時期にあっても、
アイヒマンにはユダヤ人の恋人がいた。
しかし「ヨーロッパからユダヤ人を絶滅させろ」と
命が下れば、そんな人生の思い出はあっさり放棄し、
「職務」に邁進できる精神性。

あの時代の彼らは、「この国の法律は総統の言葉である」と
考えていました。
彼らの良心が痛むのは、総統の命令に十分答えられない時。
背けば銃殺。
それを是とする精神を、アイヒマンは戦後になっても残存させ、
こう言ってのけました。

「後悔などというものは幼児のすることだ」

さて映画「ヒトラー」の話に戻ると、原作者である女性秘書は
ベルリン陥落を生き延び、戦後、手記を発表します。
映画は、年老いた彼女のインタビュー映像で終わります。

−−私は(ユダヤ人虐殺の問題を)自分と結びつけることなく、
安心していました。
私には関係ないことなのだと。でも本当にそうだったのか。
ある時、私と同い年で、私が総統の秘書になった年に死んだ犠牲者の銘碑を
見つけ、やっとこれは自分の問題なのだと気づきました。
あの時代であっても、目を見張っていれば、気づけたはずだったのだと。
想像力逞しく、目を見張ってさえいれば。

翻って考えなければなりません。いまの日本はどこへ進もうとしているのか。
私たちは、何かを、誰かを盲信してはいないか。

     

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