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Vol.21 「ミリオンダラー・ベイビー」にみる人間の究極のサガ
あれは1992年になるかならないかの頃でした。

当時、四大証券と呼ばれたうちの1社だった、ある証券会社の人事部の人に、取材に行きました。

株価は89年12月に天井を打ち、土地の値段は91年9月を境に下落。ちょうどバブル経済の崩壊が、誰の目にも明らかになった時期でした。

どうして誰も、土地や株の暴騰を止められなかったんでしょう。そろそろ投機は止めた方がいいよ、と誰も言い出さなかったんですか。

証券マンを前に、素朴な質問をしました。

経済の仕組みや証券会社の営業の構造といった解説があるかと予想していました。

「人間も組織も、一緒なんですよ」

けれどもその人は意外なことを言いました。

「何かの大きな波に乗っている時って、行くところまで行っちゃって、頭をぶつけないと、それがおかしかったんだとは分からないものなんです。

80年代の証券会社は儲かっていたんです。儲かってしょうがない時は、この流れで突っ走ろうとしか考えない。座礁して、初めて、かつての我が身の異常さを振り返ることができる。そんなもんなんです」

そんなものかなあ。ぼんやりとしか彼の言わんとする事は理解できませんでした。当時の私には、翻弄されるしかすべのない大波とはどんなものか、想像さえ難しかったのです。

13年も前の、こんな取材の一コマを思い出したのは、上映中の大ヒット映画のせいでした。

クリント・イーストウッド監督作「ミリオンダラー・ベイビー」。

以下、ネタばれ的な内容も含みますが、福祉を志す皆さんにとっては必見だと思いますのでぜひ取り上げたく、その旨ご了承の上お読み下さい。というのもこの作品にとって重要なモチーフが、「身体障害を抱えること・身体の機能を損じることの重さ」にあるからです。もっともその点については、見て感じて下さい、と述べるに止めておきます。

それより特筆すべきは、この物語が根底で描く、いったん人生の大波に乗れば究極まで流され尽くすしかすべのない、人間の性(さが)の恐ろしさにあります。

物語は、貧困家庭に育った31歳のウェイトレス、マギーがボクサーを夢見て、ジムのオーナー、ダンに弟子入りする場面から始まります。

ダンは常人にはないボクシング観を持つ男で、マギーは彼の指導の元、才能を開花させてゆきます。

スターダムを駆け上る二人。でも、そこでもう一人の登場人物が2人に水を差します。かつての名ボクサー、スクラップ。今はダンのジムの清掃係ですが、彼はかつて109回の試合を戦い、最後の一戦で左目を失いました。

というのも最後の試合でダンは、リングサイドにいながら、打たれる彼にタオルを投げなかったのです。実力をつけてきたマギーに、スクラップは「ダンと離れろ」と忠告します。けれども彼女は聞き入れない。

マギーはタイトル戦を迎えます。試合中、相手の反則技に苦しんだマギーは、「もう目がかすんで見えない」とダンに訴えます。でも栄光を目前にしたダンは、反則には反則で返せとけしかける。

それに応じて勝利を手にしたかにみえたマギー。しかし最後にくらった一撃が、彼女の身体を決定的に損なってしまう。

一度地獄を自らの身体で味わったスクラップには、ダンのもつ、悪魔のごとき闘争本能の恐ろしさが分かっていました。

でもダン本人にも、初めて体験する人生の上昇気流の渦中にいるマギーにも、その正体は見えていなかった。

誰もが一度限りの命を生きているのであり、人生を訪れる嵐の先を見越せる人などいない。だから全力を賭けて何かをつかもうとする時、人は、無自覚のうちに極限の領域まで足を踏み入れてしまう。

悔いるダンに、スクラップは、彼女は「いい人生だった」と思っているよと言葉をかけます。

その通りでしょう。何事も中庸でいいと考える人には、そのような人生の大波は訪れないのでしょう。大波も来ないが、究極の何かをつかむこともない。もちろんどちらが幸せかは、その人の人生観次第。

優れた物語は場所や時代を超えて、人間の形を描き出します。バブル経済という時代の狂気を「止められないのが人間なのだ」と言ったあの時の証券マンの言葉は、なかなか真実だったのだなあと、ようやく私も想像くらいはできるようになりました。

     

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