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Vol.16 「世間」から飛び出すために
ライター仲間で集まると、二言目には愚痴の言い合いになります。

「こないだ出した本、苦労して書いたのに売れなくってさ。
毎週、版元から数字が上がってくるんだけど、
笑っちゃうほど売れてなくて」
「出せただけいいじゃん。オレなんか、原稿料の安い
雑誌の仕事ばかり編集者から回されて、あくせくしてさあ」

同じように我々ライターに仕事を発注する立場である
出版社の編集者も、ちょっと心を許すと愚痴を漏らします。

「書ける書き手がいなくてねえ」
「読み手に『読ませてやろう』っていう気持ちのある
書き手がいないんだよな」

じゃあそんな仕事辞めろよ、もっと稼げる仕事あるだろ!
書けるヤツがいないと文句言うなら、自分で書けよ!
と読者の皆さん、腐したくなったでしょ。

外から見ると、よく見えるんです。その業界の構造的な問題が。
じゃあ問題を解決するために切り込めばいいはずなのですが、
それができない。なぜなのか。

「世間」を飛び出すのが、恐いのです。

「世間」とはどんな人も属している、その人を取り巻く社会のようなもの。
幼稚園の子を持つ母親には、幼稚園ママの集う「世間」があり、
フリーライターにも同じくその業界特有の「世間」があります。

公園デビュー、ママ同士の午後のお茶会の付き合いなど、
意味無いよな、似たもの同士でなれ合って何が楽しいのかと
端には見える関係性であっても、一旦中に入ればそこを出るには
大変な勇気がいるものです。

似たもの同士で集うのは楽です。それに出るのが恐いのは、
どんな「世間」にもそこに入る際には相応の努力がいったからなのです。

努力とは。例を挙げれば「世間」にはその「世間」特有の、
暗黙のルールがあります。

ライター業界であれば、「自分から編集者に原稿料の金額を聞かない」。
業界外の知人からは驚かれます。仕事でしょ。
契約書、交わさないのおかしいよ、と。

でもそれがルールなのです。暗黙の。

この慣習が生まれる背景には、組織を離れて一人で執筆したり
写真を撮ったりするフリーの人間は、金勘定よりやりがいを
求めているはずだ、との暗黙の認識が、編集者側にもフリーの側にも
あったのではないかと私は想像します。
だから、フリーの人間にすれば、金の話なんか持ち出せば
「骨のないヤツ」と思われそう。
編集者にとっても「金額の多寡よりテーマに乗ってくれる人を」
との思いがあって、原稿料の話は「触れないこと」が
暗黙の了解となったのでは。

(もっとも私は聞くことにしています。
まだ「世間」に入りきれていないのでしょう)
ママさんの世界であっても、お茶の誘いは断らない、
3度断るともう仲間に入れてもらえなくなる云々のルールがあるはずです。
ちなみに先日直木賞を取った角田光代「対岸の彼女」のテーマも、
幾つになってもつきまとう女性の「世間」の息苦しさでした。

「世間」から完全に離れるのは不可能です。けれども半歩距離を置いて、
風通しのよい人生を歩む人はどの世界にもいるもの。

ライター業界も例外ではありません。
ネットで国際情勢に関する世界中の記事を検索し尽くして、
メタ国際ニュースとでもいうべき横断的な視野からコラムを書く
田中宇氏はその代表格です。

引用問題で多少評価が下がった感はありますが、メルマガで人気を博して
作家に転身した田口ランディ氏も、元はといえばライターでした。

2人ともアプローチに独自性があるのが特徴です。

編集の世界にも、いなくはありません。

作家のエージェント業。つまりスポーツと同じく、書き手の代理人として
出版社と交渉を請け負いましょうという仕事をする人が現れました。

欧米では人気作家はみな代理人を使っています。
諸般の事情で代理人システムのなかった日本で初めて会社を立ち上げ、
そのビジネスに着手した鬼塚忠氏という人がいます。
2001年に会社を起こし、「1000に3つ」と言われるほど
当たりの確率の少ない出版界で、5万部の大ヒット作を
12作も輩出したのです。

鬼塚氏の方法論を記した本「ザ・エージェント ベストセラー作家を探し
つづける男」(ランダムハウス講談社刊)には、氏のアプローチの
独自性が溢れています。

例えば映画化された「歌舞伎町案内人」の著者・李小牧さんとの出会い。
CS放送のドキュメンタリーチャンネルで李さんの姿を見て、
「この人の本を作りたい」と思い立ち、歌舞伎町に李さんを探しに行きました。

長身でハンサムな李さんはきっと映像でも映えるはず。
こう思うと、映像方面に売り出してみる。
すると鬼塚氏の勘は当たり、トントン拍子で話が進むのです。

なぜ他でもなく彼にはそんなことが可能なのか。
そんなにすぐに成功するなら、だれか他の人が
手を付けていたはずなのでは。

疑問に答えるべく、同著の最後に鬼塚氏は秘訣を披露しています。

自分には、一日20冊の本を2年間読んだ時期があった。
だから読む力と勘が養われたのだ、と。

つまり鬼塚氏のような人であっても「世間」の中にある時期身を置いて、
とことん修行をした。その蓄積に加えて、鬼塚氏には、「世間」から
飛び出す勇気があったのです。

もちろん鬼塚氏は編集者といっても海外作品を日本の出版社に仲介する
会社にいたので、海外の作家とエージェントとの関係に知悉していた
という事情もあるでしょう。
しかし外へ足を踏み出し、日本で初めてそのスタイルを築く
肝っ玉のある人が、 他になかった。

「世間」=業界への対処法も分かるし、一旦その外へ飛び出したからこそ
「世間」の弱点も彼には分かる。さらにアプローチも独自なものである。

ちなみに、女の「世間」に潰されそうになっていた「対岸の彼女」の主人公も、
最後は、半歩「世間」を飛び出そうと思い切りました。

福祉の世界を志す皆さんには、どんな「世間」が、愚痴がありますか。
半歩飛び出す方法は見えていますか。
   

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