福祉の仕事 | 294job.com





  
Vol.13 職場のいじめ
いじめは小学校、中学校での出来事ではなく大人になってもつきまとう問題で、
最近は「パワーハラスメント」という言葉が流行し、職場のいじめ現象の存在を
世に知らしめる役割を果たしました。

今、私はサラリーマンの職場環境について取材しているので、否応なく、
大人のいじめ問題についての生々しい体験を聞く機会があります。

大体は「いじめられた側」の体験なのですが、過日、「いじめた側」の
体験談を聞きました。

話してくれた方は、非常に優秀なサラリーマンです。
本人が「僕は優秀でした」と言うわけではありませんが、
日本の産業史を振り返った時に転換点になるであろう画期的な技術革新に、
参画してきた経歴を持っています。

ある時、彼が上司として、一人の部下を叱責しました。
その部下は、最新の技術に詳しかったり、ある面ではとても知識豊富なのですが、
その時に彼らが抱えていたプロジェクトに必要な、非常に基本的な事項の認識に
ついて、まったく欠いていたのです。

「こんなことを知らないんじゃ、今後の仕事に差し障る。
しばらく仕事をしなくていいから、勉強しろ!」

上司はこう言って、部下に半年間、まったく仕事をさせませんでした。

――自分としては、あの部下はやればできる力があるはずだと思っていた。
だから、 基本的な勉強をし直せ、とあえて職務時間中に勉強の時間を与えて
やったつもりだった。

上司はこう考えていた、と言います。

しかし、結果として、周囲は「半年間も仕事をさせないなんて、いじめだ」と
受け止めました。

上司の方にはいじめの自覚は全くなかったのですが、周囲の声によって、
そういう受け止め方もあるのか、と気づかされたと言います。

人が2人よれば「力関係」が、3人集まれば「社会」が成立します。
そしてどんな社会にも「政治」がある。政治の力学は時として、
弱い者を叩くことでその狭い社会での世論の鬱憤をはらそうと動きます。
その時、生じるのが、いじめです。

この上司の方は、組織人としてはかなり型破りなタイプなので、無意識のうちに
生じた部内の鬱憤をはらすといった動機ではなくて、本当に親切心から、
「勉強しろ」と言いたかったのだと話していました。
それが本心であるのは、彼から話を聞いた私にも疑う気は起こりませんでした。

けれども自分が彼の部下の立場だったら、そうは思えないだろうと
思ったのも確かです。

私の知り合いにも、異動してきた新部署で、半年近く仕事を与えられずにいて
うつ状態になり、結局、転職をした人がいます。出勤はするのに仕事はない、
しかも周囲は忙しそうに働いているという事態がサラリーマンにとって精神的に
どれほど辛いか。

福祉の職場でも、同じ事でしょう。
組織において「干す」という行為は、すなわちいじめなのです。

いじめの構造は、そもそも理不尽なほどいじめ側に有利になっていて、
いじめられる側の基盤を掘り崩していくものなのだ――。
精神科医の中井久夫氏は「いじめの政治学」という文章で書いています。

分かりやすいケースは、上司と部下。上司の方に権限、パワーがある場合は、
「パワーハラスメント」という言葉で言い表されます。
見るも明らかに、いじめ側に有利な構造です。

もっともより陰湿なのはいじめる側の有利さが一見、分かりにくい例でしょう。
若手が年配者をバカにする、女性社員が集団になって男性社員を無視する、等々。
社会の風習を逆手にとった、傍目には分かりにくい、いじめの構造です。

上記の中井氏は、こう付け加えています。

被害者の側に立つことは私たちの荷を軽くして、正義の側に立たせてくれ、
自分たちの加害者的側面を一時、忘れさせてくれる。
けれどもいじめの構造を一面的に捉えるだけであれば、表面的な、
利用されやすい庶民的正義感のはけ口に終わるおそれがある。
むしろいじめの構造にこそ目を向けるべきなのだ、と。

先に挙げた上司の方は、実は自分も仕事を干された「被いじめ」経験を
持っていました。だからもちろん、いじめの快感に酔うことなどはなく、
その事件から20年以上たった今も、かつてのその部下とは年賀状の交換を
しているそうです。

いじめ、とかパワーハラスメントと簡単な一言で片づけるのが昨今の
風潮だけれども、双方の立場を考えると、必ずしも単純な構造では
ないのではないか。
こんな思いで私に体験を話したのだと、その上司は言っていました。
   

コラム目次へ