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Vol.08 作家がすべてを悟った「イチローのジェスチャー」
「好きな作家の生の声を聞きたいと思うことはありませんか。
私は作家のインタビューを読むのが大好きですし、ライターという職業柄、
時折、話題作を書いた人へ、インタビューをする側に回ることもあります。

でも自分の書いたインタビュー原稿を読んで「あの時の生の雰囲気が
うまく伝わっているなあ」と思えるのは、実はとても少ないのです。

雑誌の著者インタビュー欄とは、まだその本を読んでいない人にも
中身が伝わるよう、本の内容に触れつつ話し手の言葉を拾います。
インタビュー時の言葉のやりとりだけに焦点をあてる訳ではありません。

粗筋と話し言葉、両方を規定文字数に収めると、どうしてもギューギュー詰めに。
場を流れる雰囲気が、がさっと削がれてしまうのです。

インタビューを受ける作者の側も、同じストレスを感じているのでしょう。
その部分を埋めるのが、作家のトークショーです。

中でも私のお薦めは、公民館など大会場での講演会ではなく、
書店の主催する小規模なものです。その本を読んだ人だけが4,50人集まります。
粗筋は抜きにして、作家の言葉だけをじっくり聞くことができます。

さて私は11月4日、東京・池袋にあるジュンク堂書店へ、日本在住の
米国人作家ロバート・ホワイティング氏のトークショーへ行ってきました。
テーマは、ホワイティング氏の近著「イチロー革命」(早川書房)について。

面白かった!
これぞトークショーの醍醐味、と思える体験でした。

ホワイティング氏は1977年の「菊とバット」など、日米の野球文化の違いを描いた
大ベストセラーをものしてきた作家です。

選手の自主性に任せるアメリカとは違い、日本のプロ野球の練習の厳しすぎる。
技と身体を鍛える目的であるならば、限度を超えている。
あれは武道と同じ、精神道だ。「千本ノック」のような狂気じみた練習風景は、
技術力ではなく、精神力の鍛錬のためにあるとしか考えられない−−

こういった批判的視点に溢れた彼の作品は、今もって、アメリカから助っ人として
来日する野球選手の必読書だと言われています。

イチローもまた、幼少時から厳しい練習を、あの有名なお父さんに課せられてきた
ことで知られています。
7才の時のメニューといえば、まず放課後、軽いジョギングとキャッチボール、
投げ込み50回、トスバッティング200回、締めくくりは内野と外野の守備練習を
各50球。帰宅して夕食と宿題を終えると、次は近所のバッティングセンターで
250−300スイング。

イチローが小学6年で書いた作文にはこうあります。

「ぼくは3才の時から練習を始めています。3才−7才までは、半年ぐらいやって
いましたが、3年生の時から今までは、365日中、360日は、はげしい練習を
やっています。だから一週間中、友達と遊べる時間は、5-6時間の間です」

「巨人の星」を地でいくような教育。イチローとチチローの親子鷹人生、
そしてイチローが大人になってからの確執は、週刊誌で頻繁に伝えられてきました。

ホワイティング氏は、「イチローについて、私が一番興味があったのは、
お父さんとの関係についてです」と言いました。
果たして手練れの大作家を前に、イチローは、「父との関係」という
微妙な問題への問いに、どう反応するのか。

ナンセンス、といった具合に手をぱたっと振り下ろすポーズを、
ホワイティング氏はして見せました。

「『あれは素人ですから』とイチローは言いました。あの時のジェスチャーで、
私は全てが解った。彼がお父さんをどう思っているかを」

氏のジェスチャーの瞬間。これこそが、会場にいた聴衆にとっては、
このトークショー最大の見せ場でした。

「イチロー革命」にはこうありました。

お父さんが「練習は楽しかった」と言っていたけど、と質問されたイチローは、
突如、英語で
"He is a liar"(彼は嘘つきだ)
と返した。しかし後ほど「あの下りは削除してほしい、父を侮辱したくないから」と、
イチロー側から修正依頼があった、と。

けれどもそれとは別に、このジェスチャーが、ホワイティング氏の理解の
瞬間だったとの記述はありませんでした。
(英語版の原著は読んでいないので分かりませんが)

日本語版で438ページもある大著「イチロー革命」も、本人とのインタビューは
わずか1時間でした。
短いやりとりの中で、作家は何を手がかりに自らの疑問への答えを感じ取るか。
職人芸の一端が、トークショーではたった40人の聴衆に向けて
お披露目されたのです。

たった1000円でコーヒー付き。なんとお得な催し物でしょう。
ちなみに紀伊國屋書店や三省堂書店、ジュンク堂書店など大手はみな、
人気作家を囲むこういった催しを行っています。
私は、好きなミュージシャンのライブと並んで、秘かな楽しみとしています。
   

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