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Vol.02 「自分」の存在意義が分からなくなった時に
いやあ、人間業とは思えなかった!
タイのキックボクシング、ムエタイの選手のパフォーマンスを先月末、
渋谷公会堂で見たのです。
CGをいっさい使わない超絶アクション映画「マッハ!」の先行上映会に、
主演のムエタイ選手、トニー・ジャーがやってきました。
ものすごい高さのバック転とび蹴りや、蹴りで板をこなごなにする等々、
強烈なパフォーマンスに渋谷の若者は一同絶句。

トニーさんは別にサル似じゃないんですが、失礼ながらこの映画を見て、
私は「西遊記」を思い出しました。

トニー演じる青年は、信仰深い村でマフィアに盗まれた仏像の首を探せと、
長老に依頼される。彼は手練手管で邪魔をしかけてくる悪党一味を、
肉体の力をフル活用してやっつけます。そして仏像を探し出す−−。
お経を探しに旅を続ける三蔵法師を守るため、襲いかかる妖怪たちと戦う、
強くて働き者のサル孫悟空に、トニーさんの役柄がどうもだぶってしまいました。

今日のテーマは「マッハ!」ではなく西遊記です。
西遊記は中国の古典で、日本でも何度も映画やテレビドラマ化されています。
が、私が今回お勧めしたいのは、中島敦の短編「わが西遊記」全2作
(「悟浄出世」「悟浄歎異」)。
中島敦は昭和初期に活躍し、34歳で夭折した作家です。

そんな古い小説、と言わないで。いやいや中島敦の文章は、繊細で過敏で、
きっと今の若い人に通じるであろう心理描写に長けています。
特に、自分の生き方に自信がなくなった時や、働くことの意義が分からなくなった
ときに読むのをお勧めしたいのです。

西遊記では脇役の悟浄が、中島版の主人公です。(日本のテレビや漫画ではカッパと紹介されますが、
中島作品では水の中の妖怪が陸に上がって
人間になった、とされています)
悟浄はどうも自分に自信がなくて、水の中ではずっと「僕って何? 自分の
正体って何?」と個性ある妖怪たちに尋ね歩いていました。でも「これだ」と
思う答えは誰からも返ってきません。

ある時、悟浄はお告げの夢を見ます。「玄奘法師という和尚がやってくるから
彼について旅に出なさい」。後日、本当にやってきた玄奘法師に出逢って、
悟浄は人間となり、法師と孫悟空という2人の天才と旅をともにするように
なるのです。

2人の天才は正反対のタイプです。
思索の深い法師は、体が弱く、すぐ敵に誘拐されてしまいます。
対して孫悟空は「マッハ!」のトニーさんのように、不死身の肉体の持ち主。
旅の途中で外敵にであった時、2人の対処の仕方はまるで逆です。
法師は、敵は怖くない、こんなものは困難ではないと、自分の心を制御して
困難を乗り切ろうとします。
かたや孫悟空は考える間もなく動きだし、体を使って即解決。
2人を眺める悟浄は、思い悩みます。どちらもすごすぎる。
ぼくはどちらもマネできない、と。

旅の一行にはさらに、とにかく人生エンジョイ派でおっちょこちょいな、
ブタの八戒もいます。女好きで食い道楽。悟浄は彼についても、思います。
何であんなに脳天気に生きられるんだろう……。
しかし旅をともにしているうちに、悟浄は、なぜ夢の中でお供の旅に出ろという
お告げを見たのか、その理由を悟り始めるのです。

−−一緒に旅をしても僕は他の人のことを傍観しているばかりじゃないか。
悟空みたいにはなれっこないと、彼に近づこうともしないし、八戒はドジだけど、
僕は彼ほど動いていないからドジさえ踏んでないのだ。

つまり、川の中で「自分って何?」といくら人の意見を求めたって、それは
自分の人生の答えにはなりはしない。外に出て、お経探しという目的を持った
険しい旅をする一行に加わって、とにかく自分の体を使って動いてみる。
聞くだけ、見ているだけではなくて。そこから得た人生の実感こそが、
「自分って何?」の答えなのではないか、と。

中島敦の「わが西遊記」は、平凡である自分という存在に思い悩む人間の物語
です。今、福祉の世界に生きようとしているみなさんだって、本当に自分の進路は
これでよいのか、自分のしたいこととはいったい何なのか、考えあぐねる時が
きっとあるでしょう。

頭の中で考えていたって、何も答えは出ないのだ。

悟浄がこう悟ったところで、夭折の天才作家は、未完のまま人生を終えました。
私も、続きを読みたい、と強く願う者の1人ですが、彼の言いたいことは、
そこから先は自分で答えを探せ、ということだったのかもしれません。
 

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